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高野山に行ってみた 2018


高野山って前から行きたかったとこです。

NHKの昼ブラとかブラタモリとかで出てきてました。

紀伊半島の山の中。

行ってみましょう。


どこから行くのか。

北から行きました。

京奈和道から480号。

紀伊半島は道路がどんどん開発されてます。

木を切って山を崩したりトンネル通したり。


480号を登っていくと大門に着きます。

車を止められないので、
大門と壇上伽藍の中間にある駐車場に止めました。

到着は13:00くらい。

とりあえず大門に向かいます。

大門(だいもん)。

1705年再建の重要文化財。

一山の総門ですね。

ここから上がってきて正解ですね。

街を歩きましょう。

お寺でカフェもあります。

しばらく歩くと観光協会がありました。

ここでレンタサイクル。

電動アシストです。

時間がないので、
これで一気に街を回ります。

人が多いですが、
自転車乗ってる人はいないですね。

奥之院の入り口、
一の橋です。

見るだけ。

だいたい自転車で地理と風景を把握。

お昼を食べてないので、
どこで食べようか。

西室院喫茶部に入りました。

そして近くにある、
徳川家霊台。

徳川家霊台(とくがわけれいだい)。

1643年3代将軍家光が建立。

同じようなのが2つ並んでいて、
右が家康、左が秀忠。

お客さんは誰もいないぞ。


混んでいる中心地に行きましょう。

金剛峰寺(こんごうぶじ)

壇上伽藍(だんじょうがらん)

時間がないのでゆっくりできませんね。

急いで奥之院に行きましょう。

自転車を返却して、
一の橋からではなく車で移動。

奥之院(おくのいん)

これで17:00くらいかな。


見るとこも多いし、
人も多い。

外国人も多い。

山の中で山の上。

時間をかけることをおススメします。

宿坊に泊まった方がいいかな。

自転車で全体を把握するのはいいですね。

誰も乗ってないけど。

まあ歩いてじっくり見たいか。


帰りは奥之院側から、
371号を北上して山を下りました。

道がめっちゃ細いぞ。

気を付けろ。



奥之院 @ 高野山


奥之院(おくのいん)。

「壇上伽藍」と共に二大聖地とされています。

この奥之院エリアに、
弘法大師御廟があります。

一の橋からではなく、
通り沿いの大きな駐車場のところから行きました。

川の向こうにあるのは英霊殿かな。

この辺りまでくると、
カメラが禁止になったと思います。

御廟の橋を渡ると、
燈籠堂や弘法大師御廟があります。

燈籠がいっぱいありました。

835年空海は入定し、
921年醍醐天皇が弘法大師号を贈ったと。


奥之院エリアはとにかくお墓が多い。

有名な武将もあるんでしょう。

時間があれば、
一の橋から歩きましょう。



壇上伽藍 @ 高野山


壇上伽藍(だんじょうがらん)。

「奥の院」と共に二大聖地とされています。

この壇上伽藍エリアが、
高野山の中心で、
最初に整備が行われたみたいですね。

火災による消失が相次ぎ、
2015年に中門が再建され、
久しぶりに建物が一通り揃ったみたいです。

1843年の大火では、
ほとんどが焼けてしまったとか。

このエリアは壇上なので一段上がっています。


中門(ちゅうもん)。

高野山開創1200年を記念して172年ぶりに再建。

172年間も中門跡地だったわけです。

2015年に再建された中門は、
五間二階の楼門になりました。

正面の持国天、多聞天は1820年再建時のもの。


金堂(こんどう)。

高野山の総本堂です。

819年創建、
1932年に再建。


金堂から周辺を撮影。

大塔の鐘。

日本で4番目に大きかったので、
高野四郎というみたいです。

三鈷の松。

密教を広める場所を探すため、
三鈷杵(さんこしょう)という法具を唐から投げたら、
松に引っかかってて、
ここだと決めたって話。


根本大塔(こんぽんだいとう)。

多宝塔様式としては日本初。

弘法大師時代に完成せず、
二世真然の時に建立。

1937年再建。

大塔内陣は立体曼荼羅を表しています。

これはすごいぞ。


御影堂(みえどう)。

弘法大師が住んでいたみたいで、
御影が祀られているみたいです。


准胝堂(じゅんていどう)。

1883年再建。

本尊は准胝観音。


孔雀堂(くじゃくどう)。

1200年後鳥羽上皇の御願によって延杲(えんごう)が建立。

1983年に再建。

本尊の孔雀明王は快慶作で重要文化財です。


西塔(さいとう)。

2世の真然が886年に建立。

1864年再建。

擬宝珠(ぎぼし)高欄付多宝塔。

わからん(笑)。

本尊は金剛界大日如来と胎蔵界四仏。


山王院(さんのういん)。

1594年再建。

両側面向拝付入母屋造り。

当然わからん(笑)。


六角経蔵(ろっかくきょうぞう)。

1934年再建。

鳥羽法皇の菩提を弔うために、
美福門院が浄写した一切経(紺紙金泥一切経)を収めるために建立。

建物を回すとってがあり、
回すと一切経を一通り読んだことになるのかどうなのか。


時間がなくて、
全部見てないです。

御社(みやしろ)見てません。

御社は神仏習合の象徴のようです。

神か仏かよくわからなくなりますね。

伊勢神宮、熊野大社、高野山と見てくると。

ここは二礼二拍一礼なのかって。


東側も見てません。

建物は燃えやすく火災が多いので、
水が建物の周りに噴水のように出てたのを、
ブラタモリで見ました。

ここはもう一回見なければ。


金剛峯寺(旧青巌寺・旧興山寺) @ 高野山


山全体が金剛峯寺って聞いてましたが、
金剛峯寺って寺もあるんですね。

現在の本殿は1862年に再建。

1869年に青巌寺と興山寺が合体して、
金剛峯寺になったようです。

興山寺は1590年開基、
豊臣秀吉が天皇にお願いして造った、
国家安泰を祈ったりする勅願寺。

1592年に豊臣秀吉が、
母の追善のために造ったのが青巌寺。

後に秀次がここで自刃します。

入り口は右側。

襖絵は写真禁止。

ここですね。

豊臣秀次自刃の間。

襖が撮れないので、
ほとんど庭と廊下になるな。(笑)

蟠龍庭(ばんりゅうてい)。

国内最大級2,340平方メートルの石庭です。

奥殿を守るように雄雌の龍が表現されています。

金剛峯寺の寺紋は2つあるって話。

「五三の桐(ごさんのきり)」は青巌寺、
「三頭右巴(さんとうみぎどもえ)」は高野山の鎮守・丹生都比売神社。

昭和63年に、
高野山の2代目・真然(しんぜん)の墓がやっぱここだったってわかったらしい。

進んでいくと、
台所に辿り着きます。

二石釜。

この3釜で2000人分らしいです。


正門ではなく、
東門から入るとまた違いますね。



西室院 喫茶部 @ 高野山


お寺でカフェ。

西室院喫茶部(にしむろいんきっさぶ)です。

看板が出てました。

静かだ。

入ってみましょう。

まっすぐ奥に進むとお部屋があります。

和な感じがすごい。

お客さんは誰もいません。

クレープシュゼットを庭を見ながらいただきました。

おいしい。

高野山のガイドマップ的なものを見ながらね。


高野山にお寺でカフェって結構あると思ってたけど、
あまりないらしい。

この西室院と、
もう一つはテイクアウトだけじゃないかなとのこと。

確かに看板が出てたとこがもう一軒あったかな。