カテゴリー別アーカイブ: 考察

何を考えているのか。

noteに貼り付けた音声アクセス数についての考察 2023


ブログ書くよりしゃべった方が早いので、
Podcastに移行してますが、
内容がないので今年からは毎日アップはやめています。

そして、
アルビレックス新潟をコロナ始まってから見始めて、
去年はnoteで、
今年からはPodcastでしゃべってます。

通常版はSpotify検索から聴く人がいそうですが、
アルビ版は始めたばかりで誰も聴いてなかったんですね。

そもそも需要があるのかどうか。

そもそもnoteも聴いてた人がいるのかどうか。

noteのアクセス数は少しはあるけど、
聴くのはまた別でしょうし、
ページにアクセスしなくても聴けるわけだ。

なので、
noteを誰も聴いてない可能性もある。
(ページにアクセスするけど聴かない)


そこでPodcast。

アクセス数というか、
60秒以上聴いたデバイス数になるのかな。

これが、
Twitterとnoteに貼り付けてアクセス数あるのに、
デバイス数がゼロだったんです。

ということは、
やはりnoteを誰も聴いてなかった可能性はある。

毎試合アクセス数があるのに聴いていない。

ということはすべて新規。

noteでアルビについて書いてる人が何人かいて、
そういう人が聴いてるのかなと思っていたけど、
そうではない。

対戦相手のファンがアクセスして、
聴いていないパターンがあるかなと。

もしくは、
note直の音声は聴くけど、
貼り付けた音声は聴かないとか。


今年は8節くらいまで、
1人2試合聴いただけで、
他は誰も聴いてなかったんですね。

ここ数日でようやく何人か聴き始めました。

Spotifyのフォロワーも数人付きました。

ありがとうございます。

ひやかし厳禁、
アルビファンだけ聴いてください(笑)



メタバースとウェルビーイングについての考察 2022年末


CHANGE to HOPE 2022
というイベントが行われて、
動画が限定公開されていました。

全部は見てないですが、
いくつか見た中でおもしろかったのが、
メタバースとウェルビーイング。

石川善樹さんの話ですね。

ウェルビーイングは、
幸せとか健康とか満たされていることみたいです。


「いろいろな居場所があった方がいい」

その中の一つがメタバースであることはいいこと。

なんならいくつかのメタバースに居場所を作った方がいいかも。


「いろいろな人格があった方がいい」

これはもう分人ですね。

ツイッターの別垢もそうで、
そのコミュニティごとに分人がいる状態。


「居心地が良すぎる場所はダメ」

いろいろな居場所があった方がいいので、
一つの場所にとどまってしまうのはどうなのかと。

多様性も損なわれるのかな。

分人もできない。


「絶望した人が希望を感じる」

メタバースに希望を求める人は、
絶望しているのではないか。

リア充なビジネスマンはメタバースからいなくなり、
一縷の望みでベンチャーががんばるのか。

あと廃人ゲーマー。


IBMの入社式の話はちょっと聞いたことがあります。

家族が参加する話はおもしろいですね。


あとは医療分野ですよね。

動けない人が、
メタバース上では走ったりできるわけで。

認知症にもいいとか。


別荘を持ってる人とか、
多拠点生活の人とか、
幸せを感じやすいんでしょうね。

その延長線上で、
メタバースってなかなかおもしろいかなと。



本を読む人とファスト映画を観る人についての考察 2022


原作とドラマの違いとか、
本を読む人と読まない人の違いとか、
その辺を最近は考えていたりします。

そしたらロザンの楽屋で、
「動画を早送りで観る人」
がやっていました。


原作を縮めないとドラマに入らないと思っていました。

ダヴィンチコードでも話したかもしれませんが、
途中が飛ばされてるわけです。

映画ね。

で、
原作知ってる人は、
なんじゃこりゃになると。


ファスト映画はどうなのか。

物語の内容が速くわかって便利。

これは情報としてとらえるってこと。

倍速視聴はわかるけど、
飛ばし視聴はダメでしょ。

ダヴィンチコードになるから。


作り手の意図を飛ばしていって、
あらすじだけになるんでしょう。

でも、
作り手が合わせることがあるって話も。

わかりにくいからセリフを足すとか。

おもしろいよりもわかりやすい。

これはどうなんかな。

テレビがおもしろくなくなったに近いかな。


昔は、
この本はおもしろくないといいずらかった。

理解できないと思われるってこと。

最近は、
「おもしろい」というのは背負ってしまうので、
「おもしろくない」と言いやすいらしい。

難しい本と、おもしろい本は別というか、
理解できないけどおもしろいはあるかも。


セリフナシで見つめ合うとか、
行間が読めないとか、
この辺りがいいですね。

ツイッターで反論がおかしい人っていると思いますが、
わざとやってるパターンもあるでしょう。

釣りですね。

ただ、
ホントに勘違いというか、
コンテキストを共有していない人に対しては、
全部説明しないとわかりませんよね。

学力のレベルが下がるって言ってましたが、
ホリエモンも文章が読めない人が多いって言ってました。

だから動画で説明するって。

読解力のない人が、
勝手に勘違いして、
思いこんでいってしまう。

それはあなたの意見ですよね。

私は違います。


これはね~

完全に私のことですね。

昔から言ってますが、
作者の意図がわからない。

多分、
本を読んでこなかったのはあるでしょう。


64(ロクヨン)をaudibleで聴いて考えを改めさせられた読書についての考察


64(ロクヨン)

著者 横山秀夫


オーディブルで聴きました。

おもしろいですね。

昭和64年の事件が関係する刑事もの。

見てないけど映画で知って、
オーディブルで見つけた。


地元の記者達が、
地元が悪く言われるのが悔しい、
って辺りがいいですね。

刑務部と刑事部であったり、
地元と東京であったり、
派閥というかコミュニティというか、
ポジションによって考え方があり、
その描き方がおもしろい。


前まで、
ミステリやサスペンスは大どんでん返しがおもしろい、
と思ってましたが、
もはやあらすじとかではないなと思い始めました。

当然あらすじはおもしろいけど、
その流れの中で各々どう考えるか。

私は小説の読み方を勘違いしていたのではないかと。


漫才やコントで伏線回収の評価が高すぎる、
って感じのことを何かで見ました。

人それぞれ評価のポイントは違って当然ですが、
オチがないとダメとか、
大どんでん返しがないからダメとか、
だけではなく、
本もあらすじだけではないと。


もはやいいわけですが、
犯人を覚えてません。




大学に行く理由論についての考察


東京ポッド許可局で、
「大学に行く理由論」がやってました。

東京に行きたかったとか、
週刊プロレスを読んでいたとか。

基本的に、
勉強したくない人はいっぱいいると思います。

ただ、
大学時代が今を支えている、
という話。

好きな物を吸収する時期である。

サンキュータツオさん曰く、
やりたいことではなく、
やってて苦じゃないことを見つける、
それは仕事になる。


1. 地元から出る

やはり田舎の人は、
都会に行ってみたいと思うかな。

あと、
一人暮らしをしたいとか。

まあこの辺りは大学に行かなくてもいいか。


2. 好きなことを学べる

専門学校でもいいんだろうけど、
教養から幅広くいって、
最終的に専門的になっていく。

おそらく幅広く知識があった方が、
専門的な理解や新しいものを生み出したりできそう。


3. 友人関係

大学にはいろいろな人がいますよね。

出身がまず違うので、
方言や文化が違う。

ただ、
学力で大学が分かれるので、
似たような考えというか、
同じような人が集まってしまう可能性もあり。

東大行く人は、
親が東大出身とか、
家庭環境から違いそう。


4. 時間がある

大学生ってお金はないけど、
時間はあるんですよね。

何していいかわかんないくらいの時間。

まあ勉強しろって話ですけど、
自由すぎるRPGみたいな感じですね。

もはやセカンドライフやメタバース的な感じか。

ここで、
プロレスが好きな人は週刊プロレスを読んだり、
映画が好きな人は映画をいっぱい見たり、
サッカーが好きな人はサッカーを見たりすると。

それが、
その後の人生に影響を与えるわけですね。

そう考えると、
大学時代に好きなことをやるためには、
その前の段階で好きなことがないといけなくなる。

ない人は、
大学時代にいろんなことをやってみるってことになりますね。

そのための時間。


鹿島さんが、
冒険は社会に役立つのか、
って話を前にもしていました。

今回は、
就職面接のための社会奉仕活動。

それは社会貢献なのか。

役に立つ、
役に立たない、
っていう軸はあるんだろうけど、
それだけではないだろうと。

無駄を楽しむ、
って話をしていました。

個人的には無駄なことなんか、
ないと思っています。

若いころに使った、
お金と時間が、
その人を形作ると思います。

若いころに聴いていた音楽を、
その後も聴き続けるし、
歌い続けるわけです。

その時代、
その時間を共有していた友人は、
その後も友人であり、
久々に会ってもおそらく変わらないでしょう。



オードリー若林の共感性と言語化についての考察


ラジコのタイムフリーで聴いてる中で、
オードリーのオールナイトニッポンは結構好きです。

何回か書いてると思うけど、
ロビンマスクの話が好きなんですが、
今回もなかなか興味深い話でした。

2021年9月18日深夜の回。


まず、
オープニングトークの、
御曹司の話がおもしろかった。

御曹司と飲んでるような人から、
見下されてる気がする。

漫才師じゃなくて御曹師になればよかった。

「フェラーリとポルシェどっち買おうか迷ってるんだよね。
どっちも買えばいいか。」
「そうだな。」
「へへへ。」
「どうもありがとうございました。」
って今と変わらない。

御曹司も御曹をつくるためにがんばっている。

この話って本筋とずれて派生して、
漫才みたいに話の中に入れてきてるのがおもしろい。

ロビンマスクは落語だったけど、
御曹司は漫才ですね。

これがトークゾーンじゃなくて、
オープニングですから。


若林さんのトークゾーンは、
ブランド物がなぜ好きになれないのか。

これは共感しますね。


本題に入ります。

オードリーのオールナイトニッポンは人気があり、
時間帯の聴取率が長い期間ずっと1位とのこと。

業界関係者も聴いてる人が多いみたい。

ある記事で、
オードリーの人気は若林の「しゃべりの共感性」、
春日の「自分にない物を持っている感じ」、
って書いてる人がいました。

そう言われてみればそうだな、
ということ。

さらに言えば、
言語化できていなかったことの言語化。

さらに言えば、
ジョブズの「ユーザーに聞いてもわからない」、
に繋がって、
カリスマ性が高まります。


この1回だけで、
ブログが2本書けますね。

人を見下す人についてと、
ブランド嫌いについて。


NFTを所有することについての考察 2021


NFTを知ったのは、
ジャック・ドーシーの初ツイートが落札された時かな。

そして、
どんどんクリエーターが自分で販売できる環境に変わってきている。

NFTは買ってどうするのか。

リアルなアートは、
所有して飾るとか、
価値が上がるまで寝かせて売るとか。

NFT(Non-Fungible Token)も同じなのかな。

ネット上で飾る、
そのうち売る。

そもそもシェアリングとか言われて、
所有は時代遅れ的になってきたのではないのか。

家は買うな、
ウーバー、エアビーなど。


所有することにより、
応援の意味があるのかなと。

ファンとして所有する。

サッカーではファントークンが流行ってきてますが、
ユーティリティトークンというらしい。

特典もいろいろあって、
一緒に盛り上げてる感があるんでしょう。


シェアリングからまた所有の時代になるってわけではなく、
NFTがシェアリングの時代になるってわけでもないでしょう。

ジャック・ドーシーのツイートも、
みんな見れてたわけだし。

売る側の売り方が変わってきたと。

メルカリどうすんのかな、
って思ってたらもうやってるのか。

って思ったら、
ブロックチェーンでの証明書付の絵だった。


例えば写真のデータを売ったとすると、
買った人はそれを使って二次利用ができるってことですかね。

それはちょっと怖い気がする。

悪用しようと思えばできるってことかな。


ただ、
写真、動画、絵、曲、音声など、
データ化して売る時代に突入ってこと。

これは前から言っている、
「いくら稼いでいくら使ったか」ではなく、
「何を作ったか」にステイタスが変わってきていて、
この速度が速くなってきている。

総クリエイター時代。


BSテレ東のYouTube広告についての考察 2020春


YouTubeを見ていると、
右の広告にドラマの広告が。

BSテレ東のサイレント・ヴォイス。

BSテレ東がYouTubeに広告ですか。

これがすごいんだ。

見てみました。


全話無料。

公式がYouTubeで全話無料。

そして、
このドラマの中で「特別篇&シーズン2」の、
告知をするわけです。

YouTube広告で見せるドラマで、
広告を刷り込む。

そう。

ドラマで何回も告知がされるわけ。

これはすごいね。


無料でコンテンツを披露して、
それを次につなげる。

キンコン西野さんの絵本っぽい。

って違うのは、
無料でコンテンツを披露するのに、
広告を打ってるってとこか。

これもすごい。

さすがテレビ局。

資金力を使って、
さらにリーチをとっていく。

それをまたブログで書く人いるんだな。

これは前も書いたな。

孔明の罠にハマっとるやないか。


みんなと違う情報を仕入れた方がいいのかについての考察 2020春


キンコン西野さんの話で、
ツイッターを止めた理由の中に、
同じ情報というか感情を仕入れていても、
差別化できないって話がありました。

情報源を考えるべき。


昔はみんなが同じものを見ていました。

街頭で力道山とか。

ガンダムとか。

世代による違いもそういうことなのかな。

でも子供の頃はそうだけど、
大人になると環境がバラバラになり、
違いが出てくる。

団塊の世代といっても、
実際はいろんな人がいるってこと。

時間が経てばどんどん違いがでてくる。


私は結構情報を何で仕入れるかを聞くことがあります。

私はあまりテレビ、新聞、雑誌を見ないので、
4マスではラジオを少し。

あとはオーディブル、feedlyで数人のブログ、NewsPicks。

本はどんどん積み重なって、
なかなか読めていません。

電子書籍も。


人と違う情報に触れるのはいいことでしょう。

ただ、
放送室で高須さんが言ってましたが、
「誰でも知っているものは知っていた方がいい」。

有名な作品。

映画やドラマ。

その理由は、
知らないとコンテキストを共有できないから。

比喩的表現がわからないから。

ヤムチャの強さを知らないと、
ヤムチャ並みって言われてもわかりません。

会議の中で、
暗黙知を共有できるのか。

その表現方法は、
言葉やテキストだけではないんでしょうけど。

一方で、
いろんな感覚を知っていた方がいい。

高須さんはいろんなとこ行っていろいろ見たい、
って言ってました。

表現する者として、
いろんな感覚をもって、
身近でわかりやすい表現に落とし込むってことか。

書いてて思ったけど、
これは前に書いた気がしてきた。


ということで、
自分の好きな情報を取って行けばいいんじゃないの、
って結論でいいのか。

ポイントは流れてくる情報というよりも、
取りに行かないと入ってこない情報が重要ってことか。


国語の問題で作者の意図を訊く問いについての考察


GO三浦さんの言語化力。

まだ読み始めですが、
おもしろいですね。


作者が「何を書こうとしたのか」という問いにはほぼ意味がない。


これはいいですね。

その言葉でどう人は動いたのか、
を考えている三浦さんらしいところです。


私は学生時代に国語の点が悪かった、
っていうのを知ってる人は多いと思います。

何回も言うけど、
「作者の意図がわからない」。

理解力がないのも当然あるけど、
そもそもどう思うかは人によって違うだろと。

それを、
「こうだからこうだ」
と決めつけるのはどうなんよと。

アートもそうで、
どういう作品なのかを考えるのがいいのであって、
正解はあるんだろうけど、
どう思うかは人それぞれ。

固定観念はよくないし、
それによってクリエイティブな思考を制限させているのではないかと。


っていういいわけ。