キンコン西野さんの話で、
ツイッターを止めた理由の中に、
同じ情報というか感情を仕入れていても、
差別化できないって話がありました。
情報源を考えるべき。
昔はみんなが同じものを見ていました。
街頭で力道山とか。
ガンダムとか。
世代による違いもそういうことなのかな。
でも子供の頃はそうだけど、
大人になると環境がバラバラになり、
違いが出てくる。
団塊の世代といっても、
実際はいろんな人がいるってこと。
時間が経てばどんどん違いがでてくる。
私は結構情報を何で仕入れるかを聞くことがあります。
私はあまりテレビ、新聞、雑誌を見ないので、
4マスではラジオを少し。
あとはオーディブル、feedlyで数人のブログ、NewsPicks。
本はどんどん積み重なって、
なかなか読めていません。
電子書籍も。
人と違う情報に触れるのはいいことでしょう。
ただ、
放送室で高須さんが言ってましたが、
「誰でも知っているものは知っていた方がいい」。
有名な作品。
映画やドラマ。
その理由は、
知らないとコンテキストを共有できないから。
比喩的表現がわからないから。
ヤムチャの強さを知らないと、
ヤムチャ並みって言われてもわかりません。
会議の中で、
暗黙知を共有できるのか。
その表現方法は、
言葉やテキストだけではないんでしょうけど。
一方で、
いろんな感覚を知っていた方がいい。
高須さんはいろんなとこ行っていろいろ見たい、
って言ってました。
表現する者として、
いろんな感覚をもって、
身近でわかりやすい表現に落とし込むってことか。
書いてて思ったけど、
これは前に書いた気がしてきた。
ということで、
自分の好きな情報を取って行けばいいんじゃないの、
って結論でいいのか。
ポイントは流れてくる情報というよりも、
取りに行かないと入ってこない情報が重要ってことか。